食事の後、お母さんと話をするためにキッチンへ。例によってまた皿洗いを手伝うことに。もう面倒になったのか、お母さんはそれを断ってくることはなかった。
「いやー。それにしても今日のご飯おいしかったね」
話しかけても、お母さんは返事もなしに食器をゴシゴシ洗っている。
「やっぱり素材がよかったからなんだろうなぁ」
なおもお母さんは無言のまま洗い続ける。その横顔はどこか不機嫌そう。
「それにあの唐揚げもさー、本物のお肉じゃないのにすごく美味しかったよね」
そうやって一人でしゃべり続けていると、お母さんは呆れたように溜め息を吐く。
「どうして今になって」
手に持ったお皿を眺めながら、お母さんは呟いた。
「え?」
「あんたたちがいらないって言うから、そうしてあげたんじゃないの」
その言葉には、少し怒りが込められているような気がした。やっぱり、あの時を私たちが文句を言ったから。
「それは、謝るよ。でも、その頃はまだなんにも知らなくて」
「そんなのただの言い訳でしょ。別に気にしてないわよ。夏海が間違ってるってことも分かったし」
気にしてないっていうのは、きっと嘘だろう。それが原因で、夏姉の言うことをあんなに拒んでたんだから。それに。
「夏姉は間違ってなんかないよ。ジープさんが何を基準に食べ物を選んでたのか、気付いてたでしょ。それで作った今日のご飯、みんな絶賛してたじゃない」
言うと、お母さんはまた黙り込んでしまう。ただ、食器を洗う音がさっきよりもせわしなくなった。
「お母さんだって分かってるんでしょ。本当はそっちの方が美味しいって。その方が、みんなが喜んでくれるって」
すると、お母さんの手がピタリと止まる。きっと今、お母さんの常識は変わりかけている。あと一押しで、新しい世界に踏み出して行けるはずなんだ。
「だから、意地を張るのはやめて、素直になろうよ」
しばらく、沈黙が訪れた。やがてお母さんは何度目かの溜め息を吐くと、ようやくこっちを振り向く。
「娘に諭されるなんて、情けないわね。なんかもう、馬鹿らしくなってきたわ」
それからしばらく間をあけて。
「分かったわ。あんたら言うこと信じてあげるわよ」
「ほんと! やった! ありがとう!」
遂に、夏姉の願いを成し遂げられたんだ。嬉しくて、なんだか涙が出てきそうになる。
「あーあ。これから食費かさむわねぇ」
そうは言うものの、お母さんはどこか吹っ切れた様子だった。なんにせよ、これでめでたしだね。
片付けも終わり部屋に戻った私は、さっきのことをフラッチーに報告する。
〝そっか。あたしの出る幕はなかったかぁ。でも、おめでとう〟
「うん。ありがと。そういえば、フラッチーはどうするつもりだったの?」
もったいぶって教えてくれなかったまま事が解決しちゃったから、どんな手を使おうとしていたのか分からずじまいだった。
〝ああ。それはね、これを使うつもりだったんだよ〟
そう言ってヒレ指すは、私の机に置いてあるラジカセだった。正確には、そこに入っている、クジラの唄が収録されたカセットテープだ。
〝これをうららのお母さんに聞かせたらイチコロだったんだけどなぁ〟
「これって、クジラの唄を?」
〝そうだよ〟
一体どうすればこの音を聞いただけで、お母さんを変えられると思ったんだろう。もはや発想が超次元にいっちゃってるんじゃないかな。
〝む、その顔は疑ってるなー。これはすごいんだよ。聞いた人に夢を見せる便利アイテムなんだから!〟
「夢を、見せる?」
そういえば、それを聞いてる時って、私いつも寝ちゃってるんだよね。それで、いつも何かの夢を見ていた。なんか男の人がクジラについて色々語ってたり、コンビニで気味の悪い体験をしたり。あれはやばかった。二度と見たくない夢ベスト3に見事ランクインだよ。何が見事だ全然嬉しくない。
「うう。思い出したら気分が……」
額に手を当てていると〝どうしたの?〟と心配そうに声をかけられる。
「ううん。なんでもない。確かに私、それ聞いてた時は変な夢見てたなぁって」
〝でしょ! その音には催眠作用がかかっているから、聞いてたら絶対眠っちゃうんだよ! すごいでしょ!〟
「さ、催眠作用?」
つまり私は眠らされていたわけなんだ。すごいというより、怖いよ!
〝大丈夫さ。1ミリたりとも体に悪影響を及ぼすことはないんだから〟
「まあ、確かに今のところおかしなことはないけど」
もしそうだとしたら、なかなか寝付けない時なんかに聞くといいかもしれないね。
〝そういう目的のために渡したんじゃないと思うけどなぁ〟
こ、心を読まれた!
〝そんなことより、早く賭けの決着つけてよ。さっきはおしいところまでいったのに〟
急に話を変えたかと思うと、かなり痛いところを突いてこられる。
「あ、あはは。その内、ね」
こうやって曖昧なままやり過ごすのも、そろそろ限界かなぁ。そう思っていると、部屋の扉がノックされる。誰だろうと思いながら扉を開けると、そこにはジープさんが爽やかな笑顔を浮かべて立っていた。
「Hi.」
彼はそう挨拶した。
「え、あ、えっと」
事情が飲み込めない私はやや混乱気味である。助けを求めて後ろを振り向くと、部屋が散らかっていることに気付く。
「ちょ、ちょっと待っててください」
扉を閉めると、無造作に積まれた本や、脱ぎっぱなしの服なんかを手早く片付ける。多分人生の中で一位二位を争うほどの速さだった。
「もう、いいですよ」
部屋の真ん中に置かれたちゃぶ台の前に、ちょこんと正座して待っていると、ジープさんが部屋の中に入ってきた。
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