夜。いつもならとっくに寝ている時間なのに、今日に限ってはやたらと目が冴えていた。眠りにつける気配が一向にない。
かといって、特にすることもないからなぁ。携帯壊れてるから暇つぶしもできないし……。と、そうして布団の中で1人悶々としていた。
ふと、視界にフラッチーが入った。ぼんやりと眺めていたせいか、私は最近のことを振り返っていた。
海に消えていったあのおじさんに出会って以来、私の人生は流れが大きく変わった気がするんだ。今までの枠を飛び越えて、近いようで遠い、不思議なところ。そこに向かって、大きな流れに乗り進んでいくような、そんな感覚があった。
それは、今までの生活には戻れない。先の見えない未知の世界へ続いている。そんな予感がして、私は不安になる。
そういえば、どうして私はクジラが好きなんだろう。好きっていうより惹かれるっていうか。すごく親近感を感じたり、自分はクジラなんじゃないかって思うことが、昔からあった。
私には、クジラと深く関わる何かがある。クジラの唄が入ったカセットテープを貰ったのも、不思議な夢を見るのも、そしてイルカの幽霊なんかが見えちゃうのも、そのせい。これは必然。
ただ漠然と感じただけだけれど、何故か確信はあった。だって、そう割り切った方が気楽でいいじゃない。だから、フラッチーみたいに楽観的に行こうよ。
そう考えると、私の不安が少し和らいだ。
ふと、何か聞こえた気がして私は立ち上がった。何の音だろう。
気になって窓から外を覗いてみた。薄暗い、静かな世界に、波音が心地よく響き渡っている。そんな涼やかな風景を、じっと眺めていた。
するとまた一鳴き、まるで誘っているかのような声が聞こえてきた。クジラみたいな鳴き声だ。なんだかよく分からないけど、気になる。
体は導かれるように、外へと向かおうとした。階段を降り、そして玄関を出た。空が白み始めている。もうすぐ朝になっちゃうなぁ。
途端、冷たい風が吹きつけてきた。
「うう。日が出てないと冷えるよ」
肌寒さに身を縮こませながら周囲を見渡すと、浜辺に人影を発見。
「誰だろう。こんな時間に」
気になった私は、様子を見るために崖を降りた。近づいていくと、その人がお婆さんだということが分かった。波に触れるぎりぎりの所で、遠くを見つめ立ち尽くしている。
「あの」
声をかけようとした時、お婆さんは「来るよ」と厳かに言った。その瞬間。水平線の彼方から光が現れた。そこから産まれ出てくるように、ゆっくりと。
「カホラから踊りを教わってるんだってね?」
急に振り返ったお婆さんが、そんな事を言う。
「あ、はい」
あれ、でも何故それを? そう尋ねようとすると、またお婆さんが口を開いた。
「見えずとも分かることもある。うららちゃんもいずれ分かる時が来るじゃろう。じゃが、そうのんびりもしておれん。じゃから、少しだけ後押ししてやろう。後は自分の力で頑張るんじゃ」
太陽の輝きを背に語るその姿は、この世の物とは思えない程の異質さを放っていた。なんというか、神々しいと、感じてしまう。
言葉の意味はよく分からない。けれどとてつもないエネルギーを前にしているような気がして、私は思わず後ずさった。そうして一歩後ろへ下げようとした時、ふっと体が沈み込むような、そんな感覚に陥った。それは止まることなく、どんどん下に落ちていく。落ち続けているとき、色んな景色が目の前を流れていったような気がする。意識がぼんやりしてたから、はっきりとは分からないけど。
気が付くと、私は砂浜に横たわっていた。砂の柔らかさと、暖かな陽射しが最高に気持ちいい。
「……え!? 砂浜!?」
勢いよく起き上がる私。軽く混乱状態だ。
〝あ、起きた。おはよう〟
声のした方を見やると、愉快そうなフラッチーが浮いていた。
「……ああ、おはよう」
それから周囲を見渡して、少し落ち着いてきた。それにしても、どうしてこんな所にいるんだろう。確か夜中に外へ出て、そこでお婆さんと出会い。……あれ、それからどうしたんだっけ。どうしてだろう。それ以降の記憶がはっきりしない。
「うららさーん!」
妙な感覚に襲われた私は、はっと後ろを振り向いた。崖の上で手を降っているカホラちゃんが見える。
何だろう、今の感覚。ただ声が聞こえたって感じじゃなかった。まるで音の様子が見えたような。そうだ、この前目を閉じて音に耳を傾けてみた時。その時の感覚と似ていた。でも、もっとはっきり見えたような……。
「朝ごはんですー!」
カホラちゃんはそう言って私を呼ぶ。今度は普通に聞こえただけだった。どうして? 気のせいだったのかな?
「あの、うららさーん?」
「あ、うん、すぐ行くー!」
なんにせよ、今朝何があったのかはお婆さんに聞いてみよう。そう思い、私は家に戻った。
その後皆で朝食を食べ、お茶を飲みながらしばらくのんびりとしていた。
「あの、今朝のことで聞きたいことがあるんですけど」
折を見て、私はお婆さんに話を伺おうとする。私が砂浜に倒れてたんだから、きっと特別なことがあったはず。と思っているとお婆さんは「ん? なんだべ?」と首を傾げるだけだった。何もなかったかのような平然さで。私はそこに違和感を覚えた。
「今朝、浜辺で朝日を見てからの記憶がないんです。気付いたら砂の上で……一体何があったんですか?」
「はて、特に変わったことはなかったべさ。しいて言うなら、おまえさんの何かが変わったんだべ」
私の何かが変わった? どういうことだろう。外でもぐっすり眠れちゃうサバイバルな体になっちゃったってことなのかな。
いやいやそんなことないでしょう。言いたくないのか言えないのか。とにかく、お婆さんは何があったのか知ってるはずなんだ。
「なに、すぐに分かるべ」
お婆さんはそう言い残し、奥の部屋へ湯呑みを持って行ってしまった。
〝大丈夫だよ。おばあの言う通りすぐに分かるさ〟
そう、なのかな。なんだか釈然としないなぁ。
「ん? ていうかフラッチーは知ってるんじゃないの?」
〝さー。あたしは部屋でゆっくり休んでたからなー〟
もう、はぐらかしちゃって。でも、危ないことじゃなさそうだね。少し安心した。
「お婆さんと何かあったのですか?」
さっきのやりとりを見て気になったのか、カホラちゃんが尋ねてきた。
「ううん。大したことじゃないよ。きっと」
そう答えるとカホラちゃんは、「きっと?」と首を傾げた。
「それより、今からレッスンお願いしていい?」
「あ、はい。分かりました」
そうして私たちは、練習のため砂浜へと出た。
「ねえ、どうしてわざわざ外に出るの?」
なんとなく気になったので聞いてみた。
「それはもちろん、外の方が気持ちいいからですよ」
カホラちゃんは、清々しい笑顔で答えた。なるほど。確かに、そういうの大事だもんね。
「あ、もしかして、室内の方がよかったですか?」
「ううん。私もこっちの方が良い」
初対面ではすごくオドオドしてたのに、ずいぶん打ち解けてくれたよね、カホラちゃん。彼女の嬉しそうな横顔を見ながら、そんな事を考えた。そして私も嬉しくなる。
「さて、それじゃあまずは昨日のおさらいからしましょうか……おさらいだけで、終わってしまうかもしれませんけど」
さらっと厳しい発言をするカホラちゃんに、私は「あはは。よろしくお願いします」と苦笑いを浮かべた。
けれど私が構えを取ると、そんなカホラちゃんの表情が一変した。
「あれ、なんか間違ってる?」
「いえ。むしろ昨日より格段に良くなってます」
「え!? 本当?」
確かに、腰を落とした時の感覚が昨日と違ってしっくりくる。試しに体を左右に揺らしてみても、重心が安定して体がぶれる事がない。
「できるようになってる。どうしてだろう……」
ひとまず私は、昨日習ったステップをおさらいしてみることにした。カホラちゃんみたいになめらかな動きをイメージして。
「すごい。綺麗です。言う事なしですよ」
そんな私のステップに、カホラちゃんは驚きの表情を見せていた。不思議なことに、自分でもちゃんと踊れてるということが感覚ある。
「昨日の今日で何が……」
カホラちゃんに言われ、ふと考える。思い当たる要因は、一つしかない。今朝のことだ。
「ということは、これがお婆さんの言ってた、『変わった』ってことなのかな? だとするとやっぱり普通じゃない何かが」
「あの、どうしました?」
「え!?」
いけない。考えてたことが声に出ちゃってた。
「な、なんでもないよ。ちょっと考え事」
「そうですか。それじゃあ、次に進んじゃいましょう。いいですか?」
「うん。お願いします」
分からないことや気になることがあるけれど、今は踊りたい。踊りに集中しよう。そう思った。踊っていれば、勝手に解決してくれるような気がしたから。
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