「しまった! 今日帰らないといけないこと忘れてた!」
「ええ!?」
〝あれ、忘れてたんだ〟
携帯での時間を確認、しようとして壊れていることに気付く。
「ああ、どうしよう……とりあえず、今何時か分かる?」
問うと、カホラちゃんは空に目をやった。
「6時くらいだと思います」
「うそ!? 飛行機もうとっくに行っちゃってる! それ以前にチケットぼろぼろ!」
私は帰れないということにとてつもなく危機感を抱いた。食べ物、はまだお金があるから大丈夫だとしても、家族と連絡が取れないから宿の手配も難しい。せめて陸続きなら、やったことないけどヒッチハイクとか方法はあるのになぁ。
〝いっその事ここに居座ったらどう?〟
途方にくれる私にフラッチーは提案した。
「なるほど、考え方が楽観的だね。さすがフッラチー」
〝いやぁー、それほどでもー〟
照れ方があざとい。あと褒めてない。
「あの、何かお困りごとでも?」
私の様子から察してか、カホラちゃんは恐る恐る尋ねてきた。
「え、あー、実は……」
私は今までに至った経緯、島に帰れない事や宿がない事などを、チケットや携帯を見せたりしながらざっと説明した。
「……それは、ご愁傷様です」
聞き終えたカホラちゃんは、そんな風に同情を寄せた。
「今日帰れなかったら、最悪野宿になるのかなぁ」
憂鬱な私に対してフラッチーは、〝いいじゃん野宿! 楽しそう!〟と至って平常運転だった。
「あ、それだったら、おばあさんの家に泊まっていくのはどうですか?」
気を利かせてか、そんな申し出をしてくれるカホラちゃん。
「ありがとう。でも知らない人を急には泊まらせてなんてくれないでしょ?」
「ううん。よくある事だから、きっと大丈夫ですよ」
え、よくある事? 民宿でもやってるのかな。
〝行くだけ行ってみたら? 他に案ないんでしょ?〟
「まぁ、そうだね。じゃあお願いします」
決断を渋っていた私は、フラッチーの一言で一度行ってみることに。私達はカホラちゃんの後について、遠くに見える彼女の家に向かい歩いて行った。
「あの、ずっと気になっていたのですが」
しばらくして、カホラちゃんが話しかけてきた。
「ん? 何?」
「その、うららさんはたまに何かと会話してるように見えますけど」
ギク!
「いえ、その何かっていうのは私には見えてませんから、気のせいなのかもしれませんけど」
と言いつつも、彼女の目からそれが確信を得ているということが見て取れた。
〝前から言ってるけど、特に困ることとかないんだからさ、打ち明けちゃえば?〟
そう、だね。うん。そうしよう。ずっと見られてたんだからね。と、決意を胸に、私は自分の右肩から斜め上辺りを指差した。
「ここに小さなイルカが浮いてるの、見えない?」
「イルカ、ですか。残念ながら私には何も見えません」
とカホラちゃんは首を横に振る。
「だよね。でも私には見えるし、会話もできるんだ。残念ながら」
〝有難いことに、でしょ〟
私の発言が気に入らなかったのか、抗議をしてくるフラッチー。
「今も減らず口たたいてるんだよ。信じられないかもしれないけど」
私は苦笑しながらフラッチーを見た。きっと彼女には、ただ虚空を見つめているように見えるだろうけど。
「いえ、信じます。見えなくても、とても仲が良いことは感じられましたから」
カホラちゃんは優しく、けれどどこか羨ましそうな表情をしていた。私はその言葉が嬉しくて、ちょっと照れくさくて、自然と笑顔になった。
「ありがとう」
長く続く砂浜を歩いて行くと、カホラちゃんのお婆さんが住んでいる家の真下まで辿り着いた。
見上げるとなかなか大きな建物で、屋根の角度がとても急、というかほぼ直角になっていた。中心からは大きな煙突が突き出ている。平らな屋根が多い最近では、こっちの方が珍しい。
木造2階建てで、壁の色や傷跡が古そうな雰囲気を醸し出している。かといってボロボロというわけではなく、それがいい味となって建物の魅力引き出していた。
私たちは、ほとんどが自然にできたような階段で崖を登った。振り返るとやはり壮大な海が広がっている。高台から見下ろすのもいいものだとその風景を眺めていると、一瞬だけ潮が吹き上がったように見えた。
あれ、もしかして……。
「どうぞ、お入りください」
玄関を開けたカホラちゃんが、私を招き入れる。
「はーい。お邪魔します」
〝お邪魔しまーす!〟
この地方特有の二重扉を通り抜けると、そこには待ち構えていたかのように立つ老婦人が一人。ツヤのある白髪を頭の後ろでまとめ、にっこりと笑みを作っている。緩やかに羽織った浴衣が、その姿によく馴染んでいた。
一見穏やかそうな雰囲気があるけれど、まるで心を見透かされているかのような底知れぬ不安が感じられた。
「あ、おばあさん。ただいま。今日この人泊まっても大丈夫でしょ?」
「ああ、もちろんさ。お茶を用意してるから早くお上がりなさい」
少ししゃがれた声で、お婆さんは私を歓迎する。
「だそうですから、どうぞ、遠慮なく」
「あ、はい。ありがとうございます」
私は促されるままに家の中に入っていった。
〝わー、いいところだねー〟
古風な作りをしていて、廊下を歩いていると床板が時々ギシギシと唸りを上げる。1階だけでも十分暮らせる広さだけど、上はどうなってるんだろう。
そうして案内されたのは18畳ほどの大きな部屋。中央奥に大きな薪ストーブが設置されていて、煙突が天井を突き抜けそびえ立っている。真ん中にはテーブルが置かれていて、その周りには座布団が幾つか敷かれていた。
「ほれ、その辺にねまれ」
それだけ言うとお婆さんは隣につながっている部屋へと消えていってしまった。
「あ、今のは座ってって意味です」
呆けている私に、言葉の意味をカホラちゃんは説明してくれた。
「あぁ、ありがとう。それじゃあ、失礼して」
私は近くにあった座布団へと腰掛け、その隣に荷物を下ろす。
その後すぐにお婆さんは戻ってきて、手際よくお茶を用意してくれた。ほのかに甘い香りが部屋の中を漂っていく。
〝うーん。いい香りがする……気がする〟
気がするって……。やっぱり嗅覚ないんだね。当然か。
と、何故かお婆さんは人数分より一つ多くお茶を用意した。
「熊笹茶いうんじゃよ」
そのことを不思議に思っていると、お婆さんはお茶について簡単に説明してくれた。なんでも、自分で作っているらしい。
「それでは、いただきます」
口に含むと少し甘みがあり、あっさりしていてクセのない味だった。飲みやすくて美味しい。
「美味しいですよね。私もお婆さんのお茶が大好きなのです」
言いながら、幸せそうな顔でお茶を飲むカホラちゃん。
部屋の雰囲気も良くて、なんだか落ち着くなぁ。
「それじゃ、部屋へ案内しようかね」
私たちがお茶を飲み終えるのを見計らって、お婆さんは立ち上がった。そして「ついておいで」と手招きする。
「あ、はい」
私は荷物を持って、お婆さんの後に続く。
案内されたのは2階の部屋。どういう構造になっているのか気になっていた二階には、複数の個室が配置されていた。
お婆さんはその中の一つへ私を通してくれた。畳が6畳敷かれていて、旅館のような雰囲気を漂わせている。
「好きに使ってくれてかまわんよ」
それだけ言うと、お婆さんは下に降りていった。
とりあえず中に入って荷物を下ろす。部屋には机に座布団と、奥の押入れに布団があった。窓からは海が一望できる。もう太陽は沈んでいて、これからどんどん暗くなっていくだろう。
さてどうしようか、と考え始めた矢先、私はひどく空腹を感じた。思い返してみれば、ジープさんと別れて以来何も口にしていない。
「まずはご飯をどうにかしないといけないね」
近くのお店にでも行こうかな。そう思って鞄から財布を取り出した私は、部屋を出て階段を降りていった。
「あ、うららさん」
さっきの大部屋の前を通りかかったところで、カホラちゃんが声を掛けてきた。
「ちょうどよかった。ちょっと火を見てもらっててもいいですか?」
いつの間にか火が点けられていた薪ストーブに、カホラちゃんは木を焼べている。
どうしようか迷ったけれど、カホラちゃんの太陽のような笑顔を見せられては、断ることは出来なかった。
とはいっても、こういう事あんまりしたことないんだよね。あぁ、大丈夫かなぁ。
私の不安を表すように、火はゆらゆらと頼りなく燃え続けるのだった。
イラスト by Chii
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