正確には目が合っただけだけど、印象強かったからその顔ははっきりと覚えている。恥ずかしそうに顔を赤くしている顔が、あの時とそっくりだ。
彼女は幾度か目を瞬かせ、そのことを思い出したのか「あ」と小さく声を発したかと思うと、また顔を赤くするのだった。
やや小柄な体型で、年は私と同じくらい、もしくはやや下って感じ。おとなしそうな雰囲気だけど、恥ずかしがり屋さんなのかな。
それ以降はお互い口を噤んだままで、なんだか気まずい空気が訪れた。そして、そんな様子をフラッチーは呑気に眺めていた。
「あ、船で踊ってた踊り。私気になってたんだけど、あれってどうゆう踊りなの?」
「ひっ、あ、あれは、その……うぅ……」
私の問いに答えようとした彼女は、そこで何故か気まずそうに目をそらし、黙り込んでしまった。
現状を打開しようと話をふったつもりだけど、逆効果だったかな。もしかしたらいけない事聞いちゃったのかも。
「気に障ったなら、ごめんね。ただ、綺麗な踊りだったから感動して、それで興味持っちゃって。なんか見てると不思議な感覚になるんだけど、そういうことが最近よくあってね、って何話してるんだろ私」
そんな私を、彼女は不思議そうな顔でじっと見ている。どうしよう、引かれちゃったかな。
すると彼女の口が小さく開かれ、囁くように声が発せられた。
「いのちのしま」
「え?」
微かにしか聞き取れず、私は聞き返した。
「いのちのしまっていうんです。この踊り」
さっきより声量を上げて、彼女はそう答えた。
「いのちの、しま? いのちのしま……」
迫力のある響きだと思った。その言葉に、とてつもないエネルギーがあるようにも感じた。そして、前にも聞いたことがあるような気がする。
とにかく私は、そのことにより興味を抱くようになった。つまり、踊ってみたいと思うようになったのだ。
「ねぇ。もしよかったら、その踊り私に教えてくれない?」
口をついて出てきたのは、そんな頼みだった。
「え? え?」
彼女は困ったような表情で周囲を見回す。
「その、無理にとは言わないから、嫌だったら断ってくれても」
「いえ、そんなことは。むしろ嬉しいです」
私の言葉を制するように彼女は言った。
「じゃあ、教えてくれるの!?」
「それは……」
そこで何故か彼女は口籠り、俯いてしまった。やがて顔を上げた彼女の目には、決意のようなものが見てとれた。
「分かりました。お引き受けします」
彼女は小さいながらも、はっきりとそう答えた。
「ほんと!? ありがとう!」
私は嬉しさのあまり思わず彼女の手を取った。彼女は少し戸惑いを見せた後、優しく微笑んで立ち上がった。そして、フラッチーが嬉しそうにその光景を見ているのだった。
「えっと、まず、どうしましょう?」
少々困り顔で、彼女は尋ねてきた。
「すいません。その……誰かに教えたことがなくて」
「うーん。じゃあ、踊りを全部見せてもらってもいい? 私、まだ一部しか見たことないから」
そう提案すると、彼女は何故か尻込みした。
「どうかした?」
「いえ、その、なんていうか」
そこで一度区切ると、「そうだ」と言葉を続けていく。
「フラダンスの経験ってありますか?」
フラダンス? っていうと、あの派手でゆったりまったりダンスだよね。
「テレビで見たことならあるよ」
「そう、ですか」
少しまずそうに彼女は答えた。
「もしかして、それが必要だったりするの?」
「そう、ですね。この踊り、フラの基本ステップがよく使われてますから。全く経験がないのでしたら、踊りきるにはかなり時間が必要かと」
彼女は神妙な顔つきで告げた。今日明日で出来るものではないと。
だからといって、諦めることはできなかった。少しでもいいから、体感してみたい。
「それじゃあ、そのステップからお願い。ステップだけでもいいから」
私は懇願するように教えを請うた。
その思いが通じたのか、彼女は「分かりました」と真剣に頷いてくれた。
「それでは、まずフラの基本ステップからいきましょう」
彼女はさっそく踊りの体勢に入る。え、あ、もう始めちゃうんだ!?
私は慌てながら彼女に倣って準備をする。
「まずは、この姿勢のまま体を左右に、ゆっくり揺らしてみてください」
「こ、こう?」
軽く腰を下ろした状態で、腰から上を右に左にゆらりゆらり。波に揺られているみたいで心地いい。
「そうですね。安定するまで、しばらくそのまま揺れてみててください」
「うん。分かった」
こうして二人は、海を前にただ揺れ続けることに。ああ、砂の感触が気持ちいい。なんだかワカメになってるみたい。
岩場に潜む蟹と戯れているフラッチーをぼーっと眺めていることしばし。すると彼女は次の指示を出す。
「はい。今度はそのまま腰だけを揺らしてみてください」
「こ、腰だけ?」
言われた通り、腰を意識して揺らす。慣れない動きだから変な感覚だなぁ。
「どう? できてる?」
「そうですねぇ……姿勢が崩れてきているのと、上半身が動きすぎている、それからここがもっとこう__」
あれ、この人、見た目に反して厳しかったりするかも。
「__で、こんな感じになるのです」
ひとしきり指摘し終えた彼女は、最後にお手本を見せてくれた。
「わー! それっぽい!」
私の反応に、彼女は苦笑いを浮かべた。
「これがフラの基本で、カオっていいます。そしてこのまま歩いていくのがカホロです」
「ほえー」
実演しながら淡々と解説する彼女に、私は感心の眼差しを向ける。
「どうすればそんな滑らかに……」
私は彼女の真似をしようと試みる。けれどもぎこちない動きになってしまい、あの流れるような動作はできなかった。
「大丈夫です。練習すれば綺麗になります」
そんな私に、彼女は励ましの言葉をくれた。
こうして私たちは、日が暮れ始める頃まで練習を続けたのだった。
「そろそろ終わりにしましょう。帰りが遅くなると、親に心配されてしまいますから」
紅く染まり始めた空を仰ぎながら、彼女は手を打った。
「うん、そうだね。結構疲れたしね」
屈伸をして膝をほぐしながら、私はそれに同意する。ずっと腰を落としたままでいることが普段ないから、正直少しきつかったりする。だからその申し出はかなりありがたい。
「続きは明日でもいいですか?」
「うん。今日はありがとうございました。先生」
言うと、彼女は照れ臭そうに頬を染めた。と思うと、今度は何かに気付いたような素振りを見せる。
「そうだ、お名前聞いてもいいですか?」
「え? あ、そっか。まだ名乗ってなかったんだね」
〝自己紹介もしてない状況でよくこんなことが成立したね〟
皮肉を突っ込んできたフラッチーに、私は「う、うるさいわね」と苦笑いを向ける。
「え? どうしたのですか?」
そんな私を、彼女は不思議そうに見ていた。
「え! いや、なんでもないよ! それより自己紹介だよね。私はうららっていうの。南の島に住んでるんだけど、今は旅の途中なんだ」
フラッチーのことを誤魔化そうと、少々早口になってしまった。
「うららさん、ですか。私の名前は、か、カホラです」
「カホラ、ちゃん?」
聞き返すと、彼女は「はい」と小さく答えた。
「へぇー。珍し名前だね。ん? そういえば、さっき教えてもらったカホロっていうのに似てるよ?」
「ええ。母がフラ好きなので」
彼女、カホラちゃんは恥ずかしそうに答えた。
「そっかぁ。だからカホラちゃんもフラダンスやってるんだ。そう考えると、すごく似合ってるね、その名前」
そんな感想を口にすると、カホラちゃんは驚きと照れ臭さが混ざったような表情を見せた。そして頰をほんのり朱に染めながら、小さくお礼を言う。
「あ、ありがとうございます」
カホラちゃんのそんな様子に、私はなんだか気恥ずかしくなって視線を逸らした。その先にはフラッチーがいて、目が合うと何を思ったのか変顔をしてきた。
「ぶっ!」
「えっ! な、なんですか?」
思わず吹き出してしまった私を、カホラちゃんはおっかなびっくり凝視した。
「なななんでもないよ! それより、カホラちゃんはどうしてここに?」
「えと、それは、近くにお母さんの実家があって、里帰りに来てるんです」
カホラちゃんは海岸沿い眺める。つられて見ると、遠方の高台に一件、家が建っているのを発見した。
「もしかして、あれ?」
その建物を指差すと、カホラちゃんは「はい」と頷いた。
「浜辺の家かぁ。いいなぁ」
ん、家……。
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