2016年1月20日水曜日

8楽章〜その2

 正確には目が合っただけだけど、印象強かったからその顔ははっきりと覚えている。恥ずかしそうに顔を赤くしている顔が、あの時とそっくりだ。

 彼女は幾度か目を瞬かせ、そのことを思い出したのか「あ」と小さく声を発したかと思うと、また顔を赤くするのだった。

 やや小柄な体型で、年は私と同じくらい、もしくはやや下って感じ。おとなしそうな雰囲気だけど、恥ずかしがり屋さんなのかな。

 それ以降はお互い口を噤んだままで、なんだか気まずい空気が訪れた。そして、そんな様子をフラッチーは呑気に眺めていた。

「あ、船で踊ってた踊り。私気になってたんだけど、あれってどうゆう踊りなの?」

「ひっ、あ、あれは、その……うぅ……」

 私の問いに答えようとした彼女は、そこで何故か気まずそうに目をそらし、黙り込んでしまった。

 現状を打開しようと話をふったつもりだけど、逆効果だったかな。もしかしたらいけない事聞いちゃったのかも。

「気に障ったなら、ごめんね。ただ、綺麗な踊りだったから感動して、それで興味持っちゃって。なんか見てると不思議な感覚になるんだけど、そういうことが最近よくあってね、って何話してるんだろ私」

 そんな私を、彼女は不思議そうな顔でじっと見ている。どうしよう、引かれちゃったかな。

 すると彼女の口が小さく開かれ、囁くように声が発せられた。

「いのちのしま」

「え?」

 微かにしか聞き取れず、私は聞き返した。

「いのちのしまっていうんです。この踊り」

 さっきより声量を上げて、彼女はそう答えた。

「いのちの、しま? いのちのしま……」

 迫力のある響きだと思った。その言葉に、とてつもないエネルギーがあるようにも感じた。そして、前にも聞いたことがあるような気がする。

 とにかく私は、そのことにより興味を抱くようになった。つまり、踊ってみたいと思うようになったのだ。

「ねぇ。もしよかったら、その踊り私に教えてくれない?」

 口をついて出てきたのは、そんな頼みだった。

「え? え?」

 彼女は困ったような表情で周囲を見回す。

「その、無理にとは言わないから、嫌だったら断ってくれても」

「いえ、そんなことは。むしろ嬉しいです」

 私の言葉を制するように彼女は言った。

「じゃあ、教えてくれるの!?

「それは……」

 そこで何故か彼女は口籠り、俯いてしまった。やがて顔を上げた彼女の目には、決意のようなものが見てとれた。

「分かりました。お引き受けします」

 彼女は小さいながらも、はっきりとそう答えた。

「ほんと!?  ありがとう!」

 私は嬉しさのあまり思わず彼女の手を取った。彼女は少し戸惑いを見せた後、優しく微笑んで立ち上がった。そして、フラッチーが嬉しそうにその光景を見ているのだった。

「えっと、まず、どうしましょう?」

 少々困り顔で、彼女は尋ねてきた。

「すいません。その……誰かに教えたことがなくて」

「うーん。じゃあ、踊りを全部見せてもらってもいい? 私、まだ一部しか見たことないから」

 そう提案すると、彼女は何故か尻込みした。

「どうかした?」

「いえ、その、なんていうか」

 そこで一度区切ると、「そうだ」と言葉を続けていく。

「フラダンスの経験ってありますか?」

 フラダンス? っていうと、あの派手でゆったりまったりダンスだよね。

「テレビで見たことならあるよ」

「そう、ですか」

 少しまずそうに彼女は答えた。

「もしかして、それが必要だったりするの?」

「そう、ですね。この踊り、フラの基本ステップがよく使われてますから。全く経験がないのでしたら、踊りきるにはかなり時間が必要かと」

 彼女は神妙な顔つきで告げた。今日明日で出来るものではないと。

 だからといって、諦めることはできなかった。少しでもいいから、体感してみたい。

「それじゃあ、そのステップからお願い。ステップだけでもいいから」

 私は懇願するように教えを請うた。

 その思いが通じたのか、彼女は「分かりました」と真剣に頷いてくれた。

「それでは、まずフラの基本ステップからいきましょう」

 彼女はさっそく踊りの体勢に入る。え、あ、もう始めちゃうんだ!?

 私は慌てながら彼女に倣って準備をする。

「まずは、この姿勢のまま体を左右に、ゆっくり揺らしてみてください」

「こ、こう?」

 軽く腰を下ろした状態で、腰から上を右に左にゆらりゆらり。波に揺られているみたいで心地いい。

「そうですね。安定するまで、しばらくそのまま揺れてみててください」

「うん。分かった」

 こうして二人は、海を前にただ揺れ続けることに。ああ、砂の感触が気持ちいい。なんだかワカメになってるみたい。

 岩場に潜む蟹と戯れているフラッチーをぼーっと眺めていることしばし。すると彼女は次の指示を出す。

「はい。今度はそのまま腰だけを揺らしてみてください」

「こ、腰だけ?」

 言われた通り、腰を意識して揺らす。慣れない動きだから変な感覚だなぁ。

「どう? できてる?」

「そうですねぇ……姿勢が崩れてきているのと、上半身が動きすぎている、それからここがもっとこう__」

 あれ、この人、見た目に反して厳しかったりするかも。

「__で、こんな感じになるのです」

 ひとしきり指摘し終えた彼女は、最後にお手本を見せてくれた。

「わー! それっぽい!」

 私の反応に、彼女は苦笑いを浮かべた。

「これがフラの基本で、カオっていいます。そしてこのまま歩いていくのがカホロです」

「ほえー」

 実演しながら淡々と解説する彼女に、私は感心の眼差しを向ける。

「どうすればそんな滑らかに……」

 私は彼女の真似をしようと試みる。けれどもぎこちない動きになってしまい、あの流れるような動作はできなかった。

「大丈夫です。練習すれば綺麗になります」

 そんな私に、彼女は励ましの言葉をくれた。

 こうして私たちは、日が暮れ始める頃まで練習を続けたのだった。

「そろそろ終わりにしましょう。帰りが遅くなると、親に心配されてしまいますから」

 紅く染まり始めた空を仰ぎながら、彼女は手を打った。

「うん、そうだね。結構疲れたしね」

 屈伸をして膝をほぐしながら、私はそれに同意する。ずっと腰を落としたままでいることが普段ないから、正直少しきつかったりする。だからその申し出はかなりありがたい。

「続きは明日でもいいですか?」

「うん。今日はありがとうございました。先生」

 言うと、彼女は照れ臭そうに頬を染めた。と思うと、今度は何かに気付いたような素振りを見せる。

「そうだ、お名前聞いてもいいですか?」

「え? あ、そっか。まだ名乗ってなかったんだね」

〝自己紹介もしてない状況でよくこんなことが成立したね〟

 皮肉を突っ込んできたフラッチーに、私は「う、うるさいわね」と苦笑いを向ける。

「え? どうしたのですか?」

 そんな私を、彼女は不思議そうに見ていた。

「え! いや、なんでもないよ! それより自己紹介だよね。私はうららっていうの。南の島に住んでるんだけど、今は旅の途中なんだ」

 フラッチーのことを誤魔化そうと、少々早口になってしまった。

「うららさん、ですか。私の名前は、か、カホラです」

「カホラ、ちゃん?」

 聞き返すと、彼女は「はい」と小さく答えた。

「へぇー。珍し名前だね。ん? そういえば、さっき教えてもらったカホロっていうのに似てるよ?」

「ええ。母がフラ好きなので」

 彼女、カホラちゃんは恥ずかしそうに答えた。

「そっかぁ。だからカホラちゃんもフラダンスやってるんだ。そう考えると、すごく似合ってるね、その名前」

 そんな感想を口にすると、カホラちゃんは驚きと照れ臭さが混ざったような表情を見せた。そして頰をほんのり朱に染めながら、小さくお礼を言う。

「あ、ありがとうございます」

 カホラちゃんのそんな様子に、私はなんだか気恥ずかしくなって視線を逸らした。その先にはフラッチーがいて、目が合うと何を思ったのか変顔をしてきた。

「ぶっ!」

「えっ! な、なんですか?」

 思わず吹き出してしまった私を、カホラちゃんはおっかなびっくり凝視した。

「なななんでもないよ! それより、カホラちゃんはどうしてここに?」

「えと、それは、近くにお母さんの実家があって、里帰りに来てるんです」

 カホラちゃんは海岸沿い眺める。つられて見ると、遠方の高台に一件、家が建っているのを発見した。

「もしかして、あれ?」

 その建物を指差すと、カホラちゃんは「はい」と頷いた。

「浜辺の家かぁ。いいなぁ」


 ん、家……。



イラスト by Chii

0 件のコメント:

コメントを投稿