2015年7月15日水曜日

六楽章〜その2

 おかしい。私たちは三人家族のはず。お姉さんみたいな人はいるけど、私は一人っ子だ。お父さんも出て行ったのだから、この場に残るのは私とお母さんの二人だけじゃないと。

 などと考えている間にも、視界の端にちらつく金色の髪。見て見ぬ振りを出来ないその存在感は、やはりジープさんだった。爽やかな笑顔のまま平然と突っ立っている。って、いやいや。どうして居るのさ。

「あのー。どうしてジープさんがここに? 一緒に行かなくてよかったのですか?」

「はあ? 何言ってんのあんた。話聞いてなかったの?」

 ジープさんに尋ねたつもりが、答えを返してきたのはお母さんだった。いや、答えにはなってないな。ちょっと呆れられちゃってるし。

 お母さんの口ぶりからすると、皆で談笑してた時にそういう話があったのだろう。全く記憶にないことを考えると、私が睡魔との壮絶な戦いを繰り広げていたあの時か。

 分からないといった顔をしていると、ジープさんが説明してくれた。

「私、ニッポンを少し観光していきマス。なのでここにステイさせてもらうことになりマシタ」

 なるほど。そういう事だったんだね。でも、どうせ観光するならもっといい所に行けばいいのに。この時期はクジラも全然いないしさ。

 そんな事を考えている間に、お母さんはジープさんを客室へと案内してしまう。そこで寝泊まりしてもらうんだろう。それにしても、お母さんいつになくご機嫌だなぁ。

 ジープさんが部屋の中に入ると、お母さんはキッチンの方へと歩いていった。晩ご飯でも作り始めるのだろうか。

 特に理由はないけれど、なんとなくその後について行くことにした。

「お母さーん。何か手伝おっか?」

 声をかけると、冷蔵庫を漁っていたお母さんは、おっかなびっくりといった様子でこちらに振り返た。目を擦ったり何度も瞬きをしたりして、確かめるように私の顔を見る。

「あんた、何やらかしたの」

 仕舞いには、そんなことを言うお母さん。いや確かに自分から手伝おうとすることなんてほとんど無いけどさ、だからってその反応はないんじゃないかな。

「何もしてないし何も企んでないから。ちょっと気が向いただけだよ」

「宿題は? 毎日ちゃんとやってないと最後の方に泣き目をみるわよ」

「やってるやってる。ちょっと気分転換したいの」

「ならテレビでも見てなさいよ。あんたのやることなんて大して無いんだから」

 めんどくさっ! この人めんどくさっ! 人の厚意はありがたく受け取ろうよ。それともやなの? 私に手伝われるの迷惑なの? とりあえず、こんな大人にはなりたくないと思いました。

「ほら、切るから何かちょうだい」

 このままでは埒が明かないと思い、まな板の前に立って包丁を手に持つ。すると、溜め息と共に手の中にあった包丁がスッと抜き取られる。代わりに収まってきたのは、ピーラーと、袋詰めされたジャガ芋だった。

「じゃ、それ洗って皮むいといて」

「う、うん」

 包丁を任せられる程の信頼は、無かったんだね……。

 頼まれた仕事はこなそうと思い、ジャガ芋を出そうと袋に手をかける。その時、袋に貼付けられたタグシールを、視界の隅で捉えてしまった。

 外国産の、しかも格安。夏姉の条件を全て満たした、見事な一品だった。そこで私は、今この家にはそういった物しかないことに気付く。

「どうしたの? どこか傷んでた?」

 動きを止めた私を不思議に思ったのか、お母さんが声をかけてきた。

「ううん。そういうんじゃなくて……」

「ならさっさとやってちょうだい。料理は速さが大事なのよ」

「……分かった」

 私はしぶしぶ袋からジャガ芋を取り出し、軽く洗ってからピーラーで皮を剥いて行く。

〝えー。やめといた方がいいと思うけどなー〟

「あ、フラッチー。どこ行ってたの?」

 お母さんには聞こえないよう、そっとつぶやく。

〝ん、ちょっとジープと話してんだ〟

 なるほど。それでさっきから姿を見なかったのか。ていうか、もう親しくなっちゃったのね。

〝って、そんなことより、その禍々しいジャガ芋さー〟

「まが!? って、いや、うん。分かってるんだけどさ」

 私が大きい声を出したせいで、お母さんに変な目で見られてしまった。それを適当にごまかすと、作業を再開する。

「仕方ないよ。だって今日の晩ご飯なしになっちゃうんだもん」

〝毎日、朝昼晩とご飯を食べられることがどれだけ恵まれているか、分かってないんだね〟

「うっ」

 まあ、厳しい自然の中を生きてきたフラッチーはそうかもしれないけど。だけど、今までは普通に食べてきたんだから、今晩くらいは、ね。

 完成した料理を食卓に運び、お父さんとジープさんを呼んでくる。

    今日のメニューは肉じゃが。定番の肉じゃがなら、ジープさんにも喜んでもらえるだろう、と考えたお母さんが、腕を振るって作った料理だ。とっても美味しそう。

「ワーオ! これがウワサの肉じゃがデスカ! おいしそうデスネ!」

 と、喜んでいるジープさんを見て、お母さんは得意そうに鼻を鳴らす。まあ、こんな反応してくれる人、家にはいないからね。

「それじゃあ、食べましょうかねぇ」

 それを合図に皆は席につき、合掌。レッツディナータイム。

 サラダを一口食べてから、お出汁のしみ込んだジャガ芋を頬張る。うん、私が皮を剥いただけあって美味しい。むしろそれしかしてないから美味しいまである。

 ほんと、美味しいんだけどなぁ……。

〝でも、もっと美味しいので作ると、もっともっと美味しくなるよ!〟

 ……表現が幼稚すぎる。でも確かに、あの時のようには感じないんだよね。なんていうか、うまく言い表せないけど、自然の味って感じ。それが、無い。

 お母さんだって、分かってるんじゃないだろうか。その違いを。だって、ずっと前から夏姉に教えられてきたはずなんだから。

 何にせよ、今のままじゃ駄目だよね。少しずつでも、変えていかないと。とりあえずは食材の調達。いつものように、いつもの食べ物を買って来られるわけにはいかない。

「ねえ、お母さん。明日の買い物、一緒に行っていい?」

「え、なんで、やだ」

 ええ!? まさかの拒否! どうしていつも、そうやってとりあえず断っちゃうのかな、この人は。もう面倒くさ過ぎてしようがない。

「荷物持つよ」

「荷物はあんたよ」

「……」

 ちょっと、ひどくないですか。かわいい娘に対してお荷物だなんて。

   それにしても、どうして私と買い物に行くのを嫌がるんだろう。何か理由があったりするのかな。ま、考えたところで分かることじゃないか。

 ふと正面を向くと、ジープさんと目が合う。その隣ではフラッチーが、彼にこしょこしょと何かを囁いていた。

 何を話しているのか不思議に思っていると、ジープさんは一つ頷き、おもむろに口を開いた。

「私も含めて、皆で買い物に行ったらいいんじゃない? デース」

 口調に違和感を感じたのは、気のせいかな。なんか、フラッチーみたいだったんだけど。

 けれど、そう感じるのはフラッチーのことを知っている私くらい。外国人がちょっと変わった日本語を喋っていても、たいしておかしな話じゃない。お母さんとお父さんは特に気にした様子もなく、ジープさんの意見に大賛成していた。

「そうだな。明日も休みだし、パーっと遊びにでも行くか」

「そうね。それならいいわ。むしろジープさんだけでもいいわ」

 なんと! ジープさんの一言で意見が覆されてしまうとは。お母さんなんか本音が出てるし。影響力すごいなぁ。特にお母さんへの。

 チラとフラッチーの方へ視線を送ると、彼女はヒレでグッドサインを作り、ウインクをしてきた。なるほど。こうなることを予想して、ジープさんにああ言わせたのか。さすがフラッチー! ナイス!

 後は買い物の時に、夏姉が私にしてくれたように、お母さんを説得できれば。……それが一番難しそうだけど。

 明日に備え、お腹いっぱいご飯を食べた私は、フラッチーと共に自室に戻っていた。窓際にある学習コーナーの椅子に座ると、今日の分の宿題に取りかかる。これでも一応、予定を立てて計画的に宿題を終わらせるつもりなのだ。

「さっきはありがとね」

 ペンを動かしながら、フラッチーに食事の時のお礼を言う。反対されても無理矢理ついていくつもりだったけど、お互い良い気分でいく方が良いに決まってるもんね。

〝当然だよ。それはあたしの望みでもあるんだから。手伝えることがあったら、なんでもするよ。だから、早くジープに聞いてね〟

「あ、うん。そのうちね」

 だよね。そんなすぐに忘れるわけないよね。そもそも、ジープさんまだここにいるわけだし。あーあ、心配事が多いなぁ。

 ペンを握った手は動かず、息の溢れる音が、部屋の中に響き渡った。


イラスト by Chii

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